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2007年12月19日

トイガン社会学

トイガン社会学 銃にまつわる事件が起こるたびに、およそ鉄砲の形をしたものすべてに対して風当たりが強くなります。それが0.6Jのエアガンであれ、虫も殺せないバネ銃であれ。
 報道によれば佐世保の事件の容疑者は散弾銃にレーザー照準器を装備していたとか。トイガンのレーザーも、どこまで光が届くか試してみようなんて思って窓から夜の街に照射しようものなら、それだけで明日から世間に異常者扱いされるかもしれません。
 世の中が銃に対してより敏感になり嫌悪感を抱くことも総論としては悪くないと個人的には思います。これだけ悲惨な事件が続く昨今、銃はより厳しい眼で社会から監視されるべきだと。
 しかしきちんとルールを守って純粋にレジャーとしてシューティングやサバゲーを楽しむ人々に対し、必要以上に風当たりが強くなることはできることなら避けたいものです。
 確かに銃はもとより人や獣を殺傷するための道具ではあります。しかし思えば剣道やフェンシングにしても刀や剣の代用物で疑似的にではあるものの、武器を使って相手の戦闘能力を絶つ競技です。しかもそれらの道具は力の加減次第で実際に人を傷つける凶器にもなりえます。空手の有段者にとっては拳さえ凶器です。
 竹刀も拳もルールを無視すれば危険な凶器。そういう意味ではエアガンと何ら変わりはないと思います。だから法規や社会的なルールの範囲でエアガンを楽しむことまでが凶行につながるものとして責められるなら、およそ格闘技の類いもみな同じように責められないとあまりに不公平な気がします。
 もちろんこれがいささか暴論気味であることは百も承知です。肉体と精神の鍛錬を経て節制を身につけた武道家と、昨日今日でエアガンを手にした者を同じ土俵に載せて考えるのはおかしな話だとおっしゃる一部の主張も理解できないわけではありません。
 しかしモラルの程度は精神修養によっても醸成されるものの、個々人の生まれ持った資質の問題でもある気もします。武道家だって時に罪を犯すのですから。
 この問題はへたに論じるとすぐに炎上するそうですが、あえていま思うところを書いてみました。持ち物だけでなく思考までチープですみません…


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Posted by こたに大将 at 17:02│Comments(2)その他
この記事へのコメント
「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」とは誰かの言葉ですが、私は同感します。
要は人です。人は?教育なのでは。教育は?愛でしょうか・・・。着実にじわじわと歪みつつある日本・・・いやはたして・・・これについてはもっともっと深く考えてみる必要がありそうだと、私は自問自答しております。
Posted by だいじそ at 2007年12月19日 22:30
だいじそ師匠

 教育は死んでますよね。「金八先生」があの低視聴率。実はあのドラマの制作に少し絡んだんですけど、リアリティをつきつめるほどにドラマの中でも教育の無力さが露呈してしまうんですよ。そんなもの誰も見たくないでしょうしね。
 武器はなくとも人は殺せる。言葉一つでも。道具に罪はないと思います。使う人の心ひとつでそれは緊張感あふれる競技の道具にも凶器にもなりえます。その心をどう育てていくか。実に重い問題です。
Posted by こたに at 2007年12月19日 23:30
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